March 28, 2004

テキサス・ラッキー・コイン

テキサスラッキーコイン???
何の事か、もしわかった人はプロレス通・・というよいり、
テリーファンクに入れこんだ人ですね。。

先日、実家にかえって、昔読んだ本をひっくり返しながら、整理もかねて本棚で本を
出したり入れたりしていたら、何やら本の間に手紙が挟んであったんです。
その手紙を見たとき、一瞬に脳裏によみがえってきたんですよ。。

その手紙には、青いインクで今でもなんて書いてあるのかよくわからない。。。
英語・・しかも筆記体・・しかも俺たちが中学校で勉強した綺麗な筆記体ではなく、
ミミズがはうような筆記体・・・ま・・アメリカでは普通の筆記体なんですが。。
クセがありますよね。。

そんな手紙の最後の一行は、当時の僕・・中学生でも読めた・・
そこには手紙の文字よりもひときは大きく

”TERRY FUNK”

と・・書いてありました。。

そして、その手紙の中にさらに折り込んで挟んであったのが・・
一枚のコイン・・
通称 ”テキサスラッキーコイン”

coin.jpg


当時プロレス人気でザ・ファンクスとして日本で活躍中だった、
兄、ドリーファンク・Jr、と弟、テリーファンクの兄弟タックが宿敵、ブッチャーや
スタン・ハンセンと因縁の対決を繰り返していた。。

試合の入場には”スピニングオーホールド”っていう曲が流れ、テリーとドリーは
肩を上下に揺さぶりながら入場してきます。。そして。。おもむろにファンに
むかってコインを投げていたんです。。もう。。みんな必死でひろってました。
当然会場でないともらえないのですが・・そのコインが手紙の中に挟まって
いました。。
テリーファンクに書いたファンレター〜・・
アメリカテキサス州アマリロに住むテリーの家に送ったんですね。。
ちゃんと返事がきたんです・・嬉しかったな・・
その後、彼は引退して。。一時復活しました。。

もう二十年以上忘れていたコインです。。
手紙のなかに見つけたそのコインはラッキーコイン・・
最近、健康もよくないので。。ここはひとつかなり期待して持ち歩きます。。

Posted by savilerow at 12:08 AM | コメント (0) | トラックバック

February 29, 2004

長渕剛とう男・・・

長渕剛ほど、デビュー時とイメージが変わったミュージシャンも少ないだろうと思う。
デビュー当時って、今聞いてもか細い声で、切々と恋愛を歌っているし・・
で、今といえば・・・鬼のような顔をひしゃげて、人間の無様さ、魂とはと怒号のごとく
責め立てて歌う・・

細いのは声だけでなく、体も痩せて、長渕で〜す!
なんてライブでギター一本にこだわっていたのに・・
nagabuchi2.jpg

今は・・・冬でもタンクトップを着ている・・セイヤー!と鍛えた二の腕を見せたがるのである・・
コンサートでは死ぬほど、拳を上げさせる・・・

sora.jpg


どうした!長渕!と言いたいファンも多いと思うが、いやいや今の長渕最高!も多いだろう。。
コンサート会場は、以前とは明らかにファン層が違い、特攻服を着た御仁がやたらと多い・・・
そんな格好で”ひまわり”を一輪みんなで持って、微笑んでいたりするのである・・
不思議な光景だ。

ただ今も昔も変わらないのが、コンサート会場の回りには、たくさんのギター小僧が弾き語り
で歌う姿は変わらない・・歌の上手いヘタは別だが・・かくいう俺も十何年前会場の回りで
歌っていたのです・・・

中学校の頃、初めて聞いたレコードが”長渕剛 LIVE” であり、今聞いても名盤の一つ
になると個人的には思う。。。

live_nagabuchi.jpg

ギター小僧はこんな風に弾きたい!って思うのだが、なぜか長渕をコピーする前に、
”禁じられた遊び”であり、”神田川”であったりするのである・・
そして”F”というコードで挫折してギター(当時はモーリスが多かった・・)の弦は錆、
そのまま永遠の眠りに入るのである・・・

俺はこのライブ盤を音がすり切れるまで聞いた。。
名曲”夏祭り”を完コピー、”逆流”をギターのボディーを叩きながら歌いまくり、
”巡恋歌”の最後のパート部分にあるハーモニカまで完コピーしたときは間違いなく、
スター気分であった・・
高校の頃は、当然髪型はロングにてっぺん当たりを立たせて、
完全に長渕になりきっていた・・

当時田舎の高校であったが、文化祭の時、長渕のLIVEの完コピ・ライブを行ったら
近隣の高校から500人近く集まったもんだ・・

あれからもう二十年近く経過した・・・
あれから髪を切って就職した・・・(いちご白書をもう一度・・・だな)
そしてその髪も減り・・細い体は肥大して、情けない限りである・・
最近では病気も併発気味・・・(詳しくは次回・・・)


長渕剛という男は、やはりすごいと思わざる得ない・・
変化しつつも、俺とはまったく違うのである。。

今年の八月に鹿児島でワンナイトライブを決行する・・
桜島に7万人を集めて行うらしい。。
すでにチケットは手元にある。。

忘れてしまった何かを探しに鹿児島に行こうと思う・・
あの頃の自分自身・・・
そう・・”いつかの少年”を探しに・・


Posted by savilerow at 10:53 AM | コメント (0) | トラックバック

February 28, 2004

ヤングタウン

中学の頃、聞いていた音楽って何だろう・・・ってふと考えてるとアイドル全盛で
俊ちゃん、マッチ、聖子ちゃ〜んであったりして、みんな下敷きもっていたな・・
ちょっとツッパリ系は横浜銀蝿でナメ猫シールなんかをペチャンコカバンに貼っていた・・
洋楽系はちょっと通ぶってビリージョエルだったりする・・

そのころの俺は・・音楽にはさほど興味もなく、深夜ラジオにかじりつき・・
関西育ちの俺にとって深夜ラジオはオールナイトニッポンではなく・・
ヤングタウンなのである・・

それも金曜日のヤングタウン、パーソナリティーは谷村新司にバンバン、佐藤よしこであったりして
特に”女性立入禁止コーナー!! ”♪ジャーンジャーンジャ〜〜ン♪パパーン♪” のテーマ音楽が
流れると中坊の俺は恥ずかしながら股間が熱くなったものである・・りっぱな性教育の時間だった。
この辺はリスナーでないと理解出来ない話題であるわけで・・・

ハガキを書いて投稿して、読まれるとヤンタンステッカーがもらえます・・

d.jpg

土曜日に学校に行くとスター気分であったりしたのである・・
あかん・・懐かしすぎる・・


チューナーを回すと”ABCヤングリクエスト”っていう番組もあって、クラブ活動の夏の課外実習・・
中学校の屋上でペルセウス流星群を観察しながらラジオを聞いていると・・
”♪お〜順子♪” ってか細い声で誰かが歌っている・・
次回・・


Posted by savilerow at 09:19 AM | コメント (0) | トラックバック

February 08, 2004

土方歳三と日野市・・・

NHKの大河ドラマ”新撰組”が好調なスタートを切っているようです。
新撰組については、各書籍で無数に語り尽くされているようですので、別段よしとします。。
で・・・土方歳三の生まれは日野市石田・・ちょうど、日野駅から甲州街道を立川方面に
向かうと、多摩川の橋を渡りますが、その手前あたりになります。。

仕事柄、このあたりはよくうろついております・・
日野駅前をJRのホームから見渡すと、”新撰組””誠”の字の昇旗がいくつも街道沿いに
たなびいております・・
一本持ち帰りたいと思うのは私だけでしょうか・・

さて、日野駅で降り改札を出て、右側に数分歩くと、佐藤彦五郎旧宅跡があります。
ここには”天然理心流”の道場がありました。
ここでは近藤勇、冲田総司、井上源三郎他、新撰組の代表的な方が剣の修行に取り組
んでいたらしいです。。
今は”そばや”になっています。
食いましたが、普通のそばでした。1500円ぐらいします・・高いです・・

で、土方はこの日野で育ち、”石田のバラガキ”今でいう”ガキ大将”みたいのもでしょうか・・
とにかくケンカに明け暮れたどうしょうもない悪ガキであったそうですが、日頃は石田散薬という
薬を行商で売り歩いていたそうです。25歳ぐらいでようやく剣の道に入ったらしく、今で言う
遅咲きのようです。。剣の腕前については、今ひとつのようで、実際近藤勇自身、自分が万一
の場合、跡目については沖田に譲りたいといった記録が残っています。
しかし、道場での剣と実践ではまったく結果が違います。。
実践では部類の強さを発揮したのはやはり土方歳三でした。。。

最近は日野駅前当たりでも平日にも関わらず、本を片手に、いかにも新撰組のふるさと
を見に来ました!という方々がかなり増えています。。
やっぱりテレビの影響ってすごいんだな〜って思ったりしてます・・

人気の秘密はその”義”に対する精神性が共感を呼ぶのでしょうか・・

土方は新撰組内でも恐れられ、隊の鉄則を重んじ、仲間である同じ隊士を何十人と切腹に
追い込んでいます。。
怖いです・・

司馬遼太郎さんの代表作
”燃えよ剣”(上下巻)
の中で、近藤と土方をとらえた言葉があります。。
近藤勇については
「あきらかに近藤の思想はぐらついている。一介の武人であるべき、またそれだけの器量の近藤
勇が、いまや分不相応の名誉と地位を得ずき、さらには思想と政治にあこがれをもつようになった」

一方、土方は言う、
「目的は単純である。思想は単純であるべきである。新撰組は節義にのみ生きるべきである」
そして、
「”どうなる”とは男の思案ではない・・・男は”どうする”と言う事以外に思案はない」と・・・

1869年、降伏に傾きかけた旧幕府軍の榎本に対して、すでに捕らえられ斬首
となった、地下の近藤に会わせる顔がないと・・涙ながらに反対したという。。

現代社会で”義節”を貫き通す精神とはどういうものなんだろうか・・・

仕事柄、日野界隈を今でも通る度、ふと思うのである・・

交差点でふと見上げた新号は赤だった・・
怖かった・・・

Posted by savilerow at 01:22 AM | コメント (0) | トラックバック